シンガポールは、東南アジアの島国です。面積は東京23区と同じぐらいと言われています。
大きな国土を持たないシンガポールですが、金融を中心とした経済的には進んだ国です。
日本が自動車産業を中心に繁栄したようにシンガポールは、金融と観光を中心に繁栄している感じがします。
シンガポールは、日本に比べると小さな国ですが、体で感じるような地震がありません。また経済的に豊かなことと治安がしっかり国で維持しているのでとても安全です。
さて、今、私はシンガポールに海外赴任しております。私はアラフィフで初めて海外赴任しています。通常は30歳前ぐらいに一度海外赴任を経験してから50歳弱でダイレクターやマネージャーとして赴任するのが普通のようです。
今日は、私が大学を卒業してからアメリカ外資系コンピューターメーカーのシステムエンジニアとして就職した後、日本の地方にある日系大手の製造業に転職した時の話をしたいと思います。
前回、以下のようにお話ししました。
何年か外資系で働いているとあることに気づいてしまったのです。それは以下の通りです。
- 外資系は海外の企業が日本に販売拠点を置いて、日本の顧客のために製品を販売します。ですので、そこで働く社員は、よほどのことがなければ海外で働くチャンスがない。
- もともと英語が話せる社員が多くて、その中で海外経験がない私が抜きん出るチャンスが少ない。
家庭の事情もあり、外資系で5年働いた後に、地方の日系大手の製造業に社内システム担当として転職しました。
当時日本の景気はあまり良くなかったのですが、直接地方の製造業の人事部宛にダメ元で電話して、東京で外資系のコンピューターメーカーで働いているシステムエンジニアですが要りませんか?と交渉したところ、運良く入社できることになりました。
入社した後、地方在住になるので、もう海外と関わる仕事は今後無いだろうと思ってました。
入社当時は、製造システムをシステム担当という立場で面倒を見ていました。夜中トラブルが有れば、出社して業務アプリケーションのトラブル解決をしたり、サーバーのメンテナンスを土日深夜にやったりしていました。
この会社の情報インフラとしては、Unixサーバーを導入して業務アプリを稼働していました。当時はまだWindowsサーバーは長期間の連続稼働に耐えられず、外資系にいた時もUnixを扱っていたのでその延長線で仕事は楽しかったです。
- 日本の地方の製造業でも、当時先端であったUnixサーバー上で業務アプリを動かして製品を製造していたので仕事的に楽しかった。
- システムトラブルで休日深夜でも呼び出されたが、スリルがあって楽しかった。

ただし、年収は外資系にいた時の3割減になりました。子育てもあり大変ではあったのですが、以下の理由でなんとかなりました。
- 3割給与が減ったが大手製造業だったので、その地域としては給与は高めであった。
- 地方で生活するため生活物価が安くて、生活支出が少なかった。
この時に感じたことは、「理想的な生活形態は、大手の製造業に就職して、地方で生活するのが、1番過ごしやすいかもしれない。」ということでした。
- 大手製造業勤務であれば、地方でも比較的給与水準も高く、福利厚生もしっかりしている。「収入が多い」
- 地方の生活であれば、食糧も現地調達できて、湧水などもあり、高い質の安い生活ができる。「支出が少ない」
- 自然も多く学校も広く遊び場も広いので、子育ての環境が良い。「生活満足度が高い」
- 地域のしがらみはあったが、子育てでのしがらみだったので、必要なこととして割り切れた。「人間関係は東京も地方もほぼ同じくある」
そこでしばらく働いていたら、突然転機が訪れました。
アメリカのお客様が、こちらの製品を継続的に購入する様になったのです。こちらはB2Bの製造業だったのでお客様はアメリカ企業でした。お客様の要望としては以下の2つがありました。
- お客様の貸与する製造装置システムをこちらの工場に設置して、一部の工程をその装置で製造すること。
- 貸与した製造システムで生産される製品の製造情報を、お客様にWebサイトを通してリアルに開示すること。
技術的には、こちらのメンバーで充分対応できる話なのですが、問題は、アメリカのお客様の要望を聞き取り回答するコミュニケーション能力が必要ということでした。
私はチャンスと思いすぐに手を上げて、お客様とこちらをつなげるコミュニケーターの仕事をはじめました。実はこれが私の今の海外赴任に至る最初の一歩でした。
そこから、今に至るまでは、長くかかりましたが、大切だと思うことは以下の通りです。
- まじめに仕事しているとチャンスは突然やってくる。
- チャンスを掴めるように準備をしておく。
- やらないで後悔するよりも、やって後悔する方が良い
- アンテナを張って世の中の流れを感じ取ること
- なりたい自分を想像し続けること
私にとって、まず初めに大切だったのは稼ぐ力を高めることでした。子育てがあったので、まずはそれを高めていく必要がありました。
そんな私がなぜ今シンガポールで働いているのか? それは次回に続きます。

これからも勉強を続けてセミリタイアに向けて一直線です。
将来的には、日本の地方都市か東南アジアの都市についの棲家を定めようと思います。

